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日夏耿之介(ひなつこうのすけ)

- 「大森丘の会」のひとり - 長野県生まれ。芸術至上的な詩集【転身の頌(しょう)】【黒衣聖母】で民衆詩派と対立。日本初の体系的詩史【明治大正詩史】は、読売文学賞を受賞した。文学博士、飯田市名誉市民。 『われら大森グルッ […]

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萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)

- 【詩の原理】を熱心に執筆していた詩人 - 群馬県生まれ。大正6年処女詩集【月に吠える】を出版、この年詩話会会員となる。詩作を続けると共に【詩の原理】【純正詩論】【日本への回帰】などの詩論集を出し、詩の世界に影響を与え […]

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佐藤朝山(さとうちょうざん)

- ここに大きな家を構えた木彫家 - 福島県出身。宮彫師の家に生まれ、上京後は山崎朝雲に師事し、朝山を名乗る。日本美術院再興の際同人となり、フランスに留学。帰国後は洋風彫塑を取り入れた作品を発表。主な作品は【シャクンタラ […]

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藤浦洸(ふじうらこう)

- 谷中でテリヤを飼っていた詩人 - 長崎県生まれ。大学時代は音楽家の弟子としてオペラ館のピアノ奏で、卒業後は詩人としてスタートする。その後流行歌の作詞に転向、淡谷のり子の【別れのブルース】で一躍有名になり、以後作詞家と […]

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榊山潤(さかきやま じゅん)

- 馬込文士村を執筆した小説家 - 明治33年横浜生まれ。特派員として戦中の上海やバンコク・ビルマなどを訪れ、これらの経験をもとに執筆活動を行った。昭和14年長編小説【歴史】で第3回新潮社文芸賞を受賞。馬込には昭和2年に […]

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小林古径(こばやしこけい)

- 馬込の画室に通っていた日本画家 - 新潟県生まれ。明治32年16才で梶田半古に入門し半古塾の塾頭となり、紅児会より日本美術院に入る。大正期に【異端】【竹取物語】【いでゆ】、昭和期には【清姫】【髪】【孔雀】など数々の名 […]

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倉田百三(くらた ひゃくぞう)

- 馬込で生涯を終えた劇作家・評論家 - 主な作品戯曲【俊買】【出家とその弟子】【うたわぬ人】【布施太子の入山】【父の心配】評論【愛と認識の出発】【静思】【超克】など。 倉田百三の家は、南馬込近くにあり、大正十四年に越し […]

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熊谷恒子(くまがいつねこ)

- 眺望を楽しんだ書家 - 気品ある作風で知られ、かな書道界の巨匠とうたわれた熊谷恒子がはじめて書の先生についたのは、「わが子の稽古に付き添って」のこと、本格的に書道を志したのは三十五歳の時からでした。 常に家庭を大切に […]

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衣巻省三(きぬまきせいぞう)

- 馬込のダンス流行震源地 - 兵庫県生まれ。神戸時代に稲垣足穂と共に佐藤春男に師事し、大正末頃から文学活動を開始。モダンでハイカラな作風を持ち、【けしかけれられた男】が第一回芥川賞候補にあげられた。小説【黄昏学校】、詩 […]

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添田さつき(そえださつき)

- 谷中から東馬込に転居した作詞家 - 添田さつきは、-生まれつきの一本気で、-若い頃努めていた『売文社』を喧嘩して飛び出して以来、演歌づくりをしていました。さつきの演歌作詞の第一号は、父親(演歌師の始祖を言われる添田亜 […]

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