馬込文士村解説板 川端龍子

臼田坂下に画室を新築した川端龍子(1885~1966) 日本画家

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日本画の巨匠川端龍子は、明治四十二年 二十四才の時、牛込矢東町より入新井新井宿に移ってきました。この頃はまだ作品を認められてはいませんでしたが、挿絵を描いたり、国民新聞社に勤めたりして生計をたてていました。
大正二年に渡米した際ボストン美術館で日本画に魅せられ、龍子は油絵から日本画へと志向の転換を決意します。翌三年には、処女作「観光客」が東京大正博覧会に入選し、日本画家として立つきっかけを掴みました。その後はつぎつぎと作品が認められ、大正九年現在の臼田坂下に住宅と画室を新築し、ここを御形荘と名付けました。
-画仁生涯筆一管 龍子-という句があるように画業に専念する人でしたが、唯一の趣味としての建築は、龍子持ち前の器用さと熱心さを反映して素人の域を脱するものでした。龍子記念館、屋敷内の建築は全て龍子の意匠によるものです。

参考文献 集英社 【現代日本の美術】

 

 

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