馬込文士村解説板 添田さつき

谷中から東馬込に転居した 添田さつき(1902~1980) 作詞家

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添田さつきは、-生まれつきの一本気で、-若い頃努めていた『売文社』を喧嘩して飛び出して以来、演歌づくりをしていました。さつきの演歌作詞の第一号は、父親(演歌師の始祖を言われる添田亜禅坊)が『新社会』に連載していた『東京節』の代作をしたものでした。この『東京節』が思わぬ大ヒットとなり、それに続く『平和節』もまた大流行したを機会に代作をやめ、演歌師の添田さつきとして売り出しました。昭和に入ってレコードが普及し、演歌師の姿がみられなくなる頃から小説に転向し、『教育者』で第六回新潮文芸大賞を受賞、その後『朝風街道』『人生の奇術』『演歌の明治大正史』等の作品を残します。彼の最初の家は谷中にありましたが、道路拡張の際に東馬込へ移転しました。反骨精神を貫いた添田さつきらしく、平屋建ての質素な家だったそうです

参考文献 野村豊【馬込文士村の作家たち】 染谷孝哉【大田文学地図】

 

 

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